失敗は成長への第一歩。でも、そんな一歩を子どもから遠ざけてしまうのは何なのか?
今のあなたの人生
なにが自分の転機になったか思い出せますか?
もしかしたら、挫折の経験もあるかもしれません。
その体験はつらく、いまも心に傷を残していますか?
それとも何かしらのバネとなり、今の生活の糧になっていたりしますか?
人にとっては、そうしたつまずきや失敗は、あたりまえに経験するものです。
失敗のない人間なんていません。
でも、優しい親は
自分の子どもに失敗させることができません。
いや、正確に言うと
親がというよりも、世間が、社会が失敗を許さないと言えます。
たとえば、進学のための浪人を皆さんはどう思いますか?
学生時代の留年はどうでしょうか?
人生100年時代の現代において、
人がちょっとつまづいたり、一歩踏み出すことに躊躇したり、立ち止まったりして、
すこし間を開けて、考えたりする時間って本当は大切だったりするのに、それを世間は許しません。
実は他の国だと、一旦立ち止まって考える時間をとるのは普通だったりするのに、
儒教の国の、日本と韓国なんかは、人生をストレートに、寄り道しない生き方のほうを重視します。
そんな世間の中で、子どもたちは生きづらさを感じています。
でも最初の話でもあったように、
大人たちは自分の人生のつまづきや、挫折の体験って、実は成長のキッカケになったと感じたことはありませんか?
スポーツ選手だって、芸能人だって、右肩上がりだけの人生はないわけ。
実は、子どものつまづきなんて、長い人生のなかでは、もっと些細のものであり、
成長には欠かせない重要な体験なわけです。
だから、
子どもにはたくさん色々なことを体験してもらい、同時にに失敗もしてもらいたいです。
それが、結局はその子の力になるはず。
目の前で、子どもがつまづく姿は、
親としては耐えがたいこともあるかもしれないし、世間の目もあると思います。
でも世間は待ってくれなくとも、
せめて家族や身近な存在は、
そのつまづきや失敗を
じっくりと見守ってほしいと、
そう思います。