子育て応援プロジェクト・デュープレックスファミリーのブログ

子どもと子育て家庭を応援したくて活動しています。

Moneyは豊かになるために使って欲しい

お金は、自らの生活を豊かにするために使って欲しいと私は考えています。

それはどういうことかというと、お金はあくまで「道具」だということです。

道具って使った経験がないと、なかなか上手には使えないもの。

お金の性質もおんなじで、使う経験がないと、上手に使えるようになりません。

お金を貯めて将来に備えることも大切ですが、また一方で、今の生活で時短を実現させるためにお金という道具を使うこともできるはず。

使うことを恐れずに、子育て家庭には、お金を使うことにも挑戦してもらえたらと思います。

 

あ、でもあくまで「浪費」にだけは気をつけて!

上手に使うことは言い換えると「投資」とも言えます。

「浪費<投資」

これだけは、気をつけて意識してほしいものです!

 

施設から戻った健太さんがつぶやいた一言を、やよいさんは宝物のように覚えている。「大人は今も信用できない。ただし、一部を除いて」

「里親」に関する良い記事だったのでみんなに読んで欲しくて。

中学生になると、万引やけんかなどの非行が激しくなった。「大人が信用できなくて、いら立つエネルギーをどこにぶつけていいか分からなかった」。青葉さんらの手に負えず、中学三年から約一年間は児童自立支援施設に入った。

 この入所が、親子の関係を変えた。手紙を送り続ける夫婦に、健太さんは初めて「自分を見てくれる人がいる」と感じた。やよいさんも「離れて初めていとおしいと思えた。私たちが見放したら、誰も信じられない子になってしまうって」と振り返る。

 高校一年になり、施設から戻った健太さんがつぶやいた一言を、やよいさんは宝物のように覚えている。「大人は今も信用できない。ただし、一部を除いて」。生活態度は改まり、高校卒業後、就職し自立した。(記事より)www.tokyo-np.co.jp 
記事を引用させてもらいましたが、上の健太さんの言葉にすべてが込められています。
 
私は養子縁組の中でも、とくに特別養子縁組が増えてほしいと願っています。
一般的にな里親とは、2歳以上の子を養育することを言いますが、二歳を待たずして特別養子縁組をすることを「赤ちゃん縁組」といいます。
 
いま子どもの死亡は、0歳0ヶ月、つまり生まれた瞬間が一番多いとされています。それはこの日本でのことです。
 
子どもの死亡を減らすと同時に、子を望む家庭も幸せになれる、そんな「赤ちゃん縁組」が広まってほしい、そう思っています。
血縁なくても”共に生活をしたら”家族になれるのだ、この記事を読んであらためて強くと信じられると思いました。

保活という「競争」にさらされて

今親たちが「保活」という悲しい競争にさらされています。

本来は、父母同士が、手を取り合って子どもを支え合っていかないと、で子育てして生きてはいけないのに、保育園に入るためにポイントを稼ぐということで、父母同士が過度に競争させられてしまう状況です。

もちろん、それによってその後の仕事復帰なども影響を受けるわけですから、父母が悪いわけではありますが。

人によっては保育園の入りやすい自治体を探して引っ越したりする人もいます。。また子どもの早生まれが「損得」で語られたりもしていて、なんだか虚しさを感じます。

自分の子どもが保育園には入れたらうれしいし安心します。

でも、またその一方では、保育園に入れず、仕事に復帰できなかった親がいるということちゃんと理解知っておいてほしいです。

自分の家庭だけでなく、ほかの家庭のことまでも優しい眼差しでみれるような豊かな社会になってほしいです。

 

フリーランス、保活の壁 勤務形態、選考基準で不利

mainichi.jp

育児と介護の不安。それが同時に起こることを「ダブルケア」といいます。

子育てだけ話だけではなく、正直「しんどいな〜」と思うことも書いていきたいと思っています。

これから私が30代後半の年齢に差し掛かり直面している課題。

それはダブルケア

私のように子育てと介護を同時に担う「ダブルケア」を不安に思う、あるいはすでに直面している家庭が増えています。

 

select.mamastar.jp

筆者自身、一昨年亡くなった母親の看病と乳幼児の育児を同時に経験したことがあります。両立がなかなかできずに困っていたときに、姉と協力したり、親せきの力を借りることで何とか乗り切ることができました。「困ったときはお互いさま」なのだと改めて実感し、精神的にも大きな支えになりました。思い切って、周りの人にSOSを出すことも重要かもしれません。

今親は元気でも、高齢や病気が原因でいつ介護が必要になり「ダブルケア」に直面するかわかりません。普段から、介護が必要になったらどうするのか、家族で話し合っておくことが重要かもしれません。筆者自身、「ダブルケア」の大変さを身をもって感じましたが、今となっては母に孫の顔をたくさん見せてあげられてよかったと感じています。家族にとっても辛いものはありましたが、大きな経験になりました。利用できるサービスはすべて使い、周りに頼ることを忘れず、それでも無理なら地域包括支援センターなどの相談窓口も利用しましょう。介護や育児はなかなか終わりが見えないため、無理をしずぎず長い目で見たほうがよさそうです。(記事より)

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社会構造の変化に伴う、核家族化や晩婚・高齢出産が一般的となった今、目の前の子どもの子育てで手一杯だとしても、身近な人の「介護」も必要となる日が、”ある日突然”やってくるかもしれません。

それは高齢となった親の介護かもしれないし、パートナーの事故による怪我や、病気等による身近な人の介護かもしれない。

私の知人の一人は、高齢となった親に、都外から都内の自分の暮らす地域に移り住んでもらったという話も聞きます。

また他のある一人は逆に自分たちが子どもと一緒に、高齢になった親の暮らす地域に引越しを決断した人もいます。

少子高齢化の日本において、この問題は他人事ではなくどんどん広がっていっています。

母親一人に、育児・介護を背負わせるのではなく、家族そして社会全体で背負うためにはどうしたらいいのか今から考えておく必要があるでしょう。

ちなみに、子育て中のわが家に「ダブルケア」の問題が起こったならば、すごく経済的な余裕があるわけでもないので、社会福祉制度を理解し、できるかぎり活用するしかないですし、自分たち自身も今以上に動く以外に方法はないだろうと思います。そうすると生活状態が想像しきれずますます不安にもなります。

本当は今の地域で暮らしつづけたいのだけれど・・・もしかすると、介護の必要な親の近くに引越すしかなくなるのかもしれませんね。

 

日本で子どもを育てる適正年収とは?

www.sekkachi.com

繰り返えし、強調させていただくと、日本という国においては平均年収では子供2人を育て上げることが困難で、子供の将来から借金するという奨学金制度を利用するほかないという現実が存在しているというわけです。(ブログより引用)

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これはつまり、日本の平均年収では、子育てとマイホームを持つという、いわゆる一般的な家庭の「夢」の実現は無理ということですね。
この平均年収を「中流」と言い換えるとどうでしょう?

中流家庭ですら、子どもが2人いたら「夢」のマイホームを持つことができない。

となると、これまでの「一般的」の基準も満たせない「下流」に位置付けられてしまう。

きっと多くの方が、「自分たちは中流だ」という意識を持っていることと思いますが、これ自体もすでにズレが生じている。実際には二極化が進んでいます。

この現実を受け入れ、次の行動に移すとすると、「収入を上げる」か「支出を下げるか」。でも、一度上げてしまった消費の基準を下げるのは、正直しんどいことですよね。

あなたは通信料金を下げるために、スマホからガラケーに戻せますか?私なら今の便利を手放すのに、かなり躊躇します。

そうでないなら、社会の仕組みを変えて、賃貸でも一生暮らしていけるような仕組みを作りたい。希望と安心のある未来を作りたい。そんな風に思います。

あなたならどうする?食堂での自閉症差別(字幕付き)

あなたならどうする?食堂での自閉症差別(字幕付き)

www.youtube.com

自閉症スペクトラムの子どもとその家庭がレストランで食事をした時の動画です。


この家庭に対する、周囲の思いやりに胸を打たれたのでシェアします。
もしこの動画とは逆に、周囲が発達障害等に理解がない場合、その親は孤立していく事でしょう。

外出も減り、家庭内で困窮していくが様が用意に想像できます。
そのような状況下では、どうしようもなくなった親から子への虐待の可能性も出てきます。


この動画のように、日本社会でも、
発達障害等への理解が進むことを期待します!

「女の生きる価値」とは?(ライフスタイル記事より引用)

『ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館)の著者である杉山春さんの記事に興味深いものがあったので引用させてもらいます。

記事の中に「女の生きる価値」という部分があります。

「離婚をして、母としての価値を失ってしまったと感じたときに、そうしたことが権利だとは思えない。彼女はもうひとつの自分の価値基準である、「かわいい」「モテる」という自分をアピールしていこうとしたのかもしれません。それで、SNSではオシャレをしてきれいにして、そういうかたちで自分に生きる価値があることを訴えていたのではないかと思います。」

 

この「生きる価値」を承認してほしいという感情

子育てがうまくいっているうちは、立派な親であるという「価値」を他者から承認されやすい。

でも、うまくいかないと「ダメな親」というようなレッテルを張られ

「価値」を失ってしまったような気持ちになることは想像できます。

そうしたときに、自分自身が「価値ある自分」を認められるのでしょうか?

 

他者に承認されたい欲求は誰にでもあります。

私に承認されたい「生きる価値」は、時代や年齢、環境によっても変動するものだろうと思います。

 

私だって、きつい現実からは、逃げたくなってしまうということはありますし、表現しやすい「自分の価値」をSNSで見せびらかし、「いいね!」と承認してもらいたい感情になることはあります。

 

当然、このことで子どもたちが死亡したことが許される訳ではありませんが、

この現状を理解しないで、虐待する親を一方的に批判することはできないと私は感じてしまいます。

彼ら・彼女らは確かに「加害者」ではあるが、「生きることに困窮する一人の人間」なのだと。

 

 

wotopi.jp

――芽衣さんは、結婚していた頃は、乳幼児健診や育児サークルの活動など公的な機関を積極的に利用し、周囲からは「若いのにしっかりしている」という評価もあったと『ルポ 虐待』にはあります。離婚後に公的な機関を利用しなかったのはなぜなのでしょう。

杉山:彼女が、自分の人としての価値をどこで捉えていたのかということと関係があると思います。芽衣さんは10代の頃から「早くママになりたい」という希望を持っていましたが、離婚して、母として失敗しているわけですよね。立派に子育てが出来ている間は、堂々と公的支援をつかうことができる。

しかし、母としての価値を失ってしまったと感じたときに、そうしたことが権利だとは思えない。彼女はもうひとつの自分の価値基準である、「かわいい」「モテる」という自分をアピールしていこうとしたのかもしれません。それで、SNSではオシャレをしてきれいにして、そういうかたちで自分に生きる価値があることを訴えていたのではないかと思います。

――公的な機関を利用して子どもたちを育てることより、SNSのなかで誰かから承認を得ることに「生きる価値」を見出したということなのでしょうか。それでもやはり、子どもを放置したことはなかなか説明がつかないように思います。

杉山:裁判では検察側の精神鑑定を精神科医が、弁護士側の心理鑑定を虐待に造詣の深い山梨県立大学の西澤哲氏が行いました。西澤氏は「娘と自分を重ね合わせている」とおっしゃいました。娘を直視することは、幼いころ放置されていた自分と向き合うこと。それができなかった。惨めな自分を受け入れられなかったと。

裁判で芽衣さんは、「幼い子どもたちの元に帰らなかったのは、2人が嫌だったのではなく、子どもたちの周囲に誰もいないというその状況が嫌だった」という内容の発言をしています。幼い頃、周囲に誰もいないまま放置されていた自分自身と向き合うことが出来なかったのだと思います。