母性や父性があるかないかなんて、気にしない!
「母性神話」という言葉を聞いたことありますか?
虐待死の事件が起こると、
加害者である親に向けて「母性や父性が欠けている」といった指摘が起こります。
日本では、昔からの
女性にはもともと母性本能というものが備わっており、
子どもを産むと、自分よりも子どもを優先にして、子育てに尽くすことができる。
そしてそれが「あたりまえ」なんだと言うことが、昔から言い伝えられてきました。
しかし、私が色々な父母から聞き取った中で、その神話には、少し違和感を持っています。
その違和感は、
母性や父性は先天的にあるものではない
のだろうということです。
それは、
様々な父母たちから話を聞くなかで、
母性や父性というような本能、
あるいはその父母感覚は、
「親という役割」を担う中で、徐々に
立ち上がっていくものだと実感しました。
母親の場合は、妊娠期から、体の変化を実感し、体も心も親へと移行していきます。
父親の場合は、子どもが生まれ、実際にお世話をする行程の中で、親としての自覚が醸成されていきます。
中には、産む前は子どもは好きではなかったような人も、
「親役割」を担う中で、自分の子どもを愛するようになり。
そしてその友達を徐々に好意的に受け入れられるようになったのだと言います。
父母ともに「役割」を担う中で、徐々に母性や父性が醸成されているのです。
だとするならば、
逆に考えると、たとえ妊娠したり、子どもがいたとしても
「親役割」を担えないような、ある環境下にあると、
母性や父性が醸成され難いとも言うことができます。
その「環境下」とは
たとえば、
- 妊娠・出産を他者から祝福されていない(自分が祝福できていない)
- 妊娠・出産・子育てに実際に関われていない
- 近くに助けてくれる他者がいない
ということが、重要なポイントだと考えています。
そもそも「役割」というのは、
自分一人で決めるものではありません。
それは、周囲との関係性のなかで、決まるのです。
だから、孤立していると、役割自体が生まれ難いとも言えます。
そして、その人自身や、妊娠が祝福されていないと、前向きに役割を担うことができません。
さらに、仮に役割を担えたとしても、誰かの助けがなければ、その役割の遂行は難しいのです。
繰り返しになりますが、
母性や父性は、子どもを産む過程
あるいは、産んだ後に、親へと移行していくなかで、
徐々に醸成されていくものです。
しかも、特定の環境下になければ、醸成さされ難いというものです。
だから、
周囲の妊婦や子育て家庭を孤立させないでほしい
と、お伝えしたい。
そして、
妊娠や子育てを否定せず、
祝福し、応援してほしいのです。
それが、児童虐待の予防につながる可能性もあるのでね。